変身ヒーロー永遠の謎
仮面ライダーのあの外観はパワードスーツなのだろうか。もしパワードスーツ装着型だと仮定したら、冬に厚着をしている時やロングコートを着ている時の変身はどうなるのか。また、女性ヒーローがロングスカートとか着ている場合はどうなるのか。
それらの問題の解決策に、
①着ている衣服をパワードスーツ的なやつに変化させる。
②着ている衣服を肉体ごと、変身後の姿に変える。
③着ている衣服を一度全部脱がし、裸の上にスーツを装着させる。
④着ている衣服を肉体ごと、人間の姿ではない、別の生物の様な外観に変化させ、その上からパワードスーツ的な物で覆う。
変身システムがどうであれ、変身前に着ていた衣服がどうなるのかがネックになるような気がします。
それぞれ考えていきましょう。
なお、今回は、パワードスーツ装着型の場合、と仮定します。
①の場合
裸の時は変身できない、ということになってしまう。
②の場合
仮面ライダー真の様な生物的な外観になるが、パワードスーツ装着型という仮定に反する。
③の場合
変身シーンに真っ裸の時間が必ずあるため、ださい。
④の場合
仮面ライダーブラックの様に、一度バッタ男的なプロトタイプに変身してから、その上に、パワードスーツを装着させるということになる。
よって、④が一番説得力のある説明何じゃないかという僕の結論です。
いずれにしろ、ベルトや何らかのアイテムによって自動的に変身するという設定では、変身の仕組みや過程を全部科学的に説明するというのはさすがに無理があるんじゃないかと思います。部分的に何か超常的な力の手助けを借りて説明した方が、見ている側としてもしっくりくると思います。
黙ってアメコミ方式の、自分でコスチュームを作る、もしくは誰かが発明したパワードスーツ的な物を自分で装着するという設定にすればいいじゃないかという意見もあると思いますが、これでは主人公が、何か軍隊などの組織に属していないと難しいと思います。
また、そんなメカニカルなハイテクアーマーを自分で管理したりメンテナンスをするとなると、主人公が、ハワード・スタークばりの知能を持っていないといけない。もしくは、例えば主人公の知り合いの博士、バックトゥザフューチャーでいうドクのような存在、バットマンでいうアルフレッドみたいな存在に管理を頼んでいたとしても、変身する時に、いちいち博士の研究所や倉庫まで戻らなければなりません。
というか、そもそもアメコミ方式、つまり、自分で着替える、というパターンだと、主人公がどこかに出かけている時に敵が襲ってきたら、すぐさま変身、ということはできません。
いつでもどこでも、どんな状況でもすぐに変身できた方が便利だと思うし、おそらくストーリーを作りやすいというメリットもあるでしょう。
また、個人的な事を言うと、変身ヒーローもので主人公が何かしらの組織に属しているというのは、あまり好きじゃない、とゆうのもあります。(笑)
仮面ライダーのような特撮ヒーローは孤高の存在であってほしいというのが僕の中にありましてね。
子供の頃にオリジナルヒーローを考えたとき、この問題にぶち当たりました。変身の仕組みについて、子供ながらに真剣に悩みましたよ。
皆さんはどう思いますか?
時間の無駄遣いについて
こちら↑の記事で、無双系のプレイ動画見るの好きだって言ったんですけど、よく考えてみると、実際にゲームをプレイすることもないくせに、プレイ動画を見るだけってすごい時間の無駄遣いな気がしたんですよね。
でも、「そもそも無駄遣いってなんだ?」とふと思ったわけですよ。
例えば映画を見ることは時間の無駄遣いじゃないのか。
アニメを見ることは時間の無駄遣いではないのか。
読書は時間の無駄遣いではないのか。
「映画やアニメを見たり、読書をすることは、自分の人生を豊かにする」ってゆう反論があると思うんですけど、じゃあ豊かな人生ってなんだ?何が豊かなんだ?
映画やアニメ鑑賞、または読書など、娯楽を享受するだけで金稼げるのか?
そんな人はほとんどいないはずだ。
結局はその間の時間を楽しめたかどうかってことだと思うんですよ。
映画もアニメも読書も、それ以外の娯楽も、好きだからそれやってるんでしょ?
だったら、好きだから無双のプレイ動画見たってええやん。って結論にたどり着いたわけです。
つまり、無駄遣いだろうがなんだろうが、その間自分が楽しめてるんであれば、映画だろうがアニメだろうがプレイ動画だろうがオナニーだろうが、別にええやん。
何故なら自分が満足してるんだから。
何をやるにせよ、楽しんでいるのであれば、その時点で時間の無駄遣いではないのではないか。
って最近思いましたとさ。
今日の出来事10 ~図書館の謎の美人司書とか昼下がりの雰囲気とか~
今日は7時40分ごろ起床。朝飯はふりかけご飯とみそ汁と卵焼き。
10時ごろ図書館に行く。北方水滸伝5~7巻と、よくわからん評論本みたいなやつの、計4冊。
どうでもいいけど、よく行く図書館に、年齢不詳の謎の美人司書がいる。でも、俺の好みがなかなか人にわかってもらえないってゆうのと、近くでガッツリ見たことあるわけじゃないってゆう事実を鑑みると、本当は美人じゃないのかもしれん。でも、おそらくすごい綺麗だと思う。熟女なのか若いのか、よくわからん。まさに謎の美女。まさに図書室の七不思議である。他の6つは知らない。
12時15分ごろ昼飯。昼飯は図書館行った帰りによったパン屋で買ったパン。プリンパンってのを買ってみたが、意外と普通、てか普通のクリームパンや、あれ。
13時頃からいつも通りgdgd(グダグダ)と、ネットサーフィン。
14時ごろから借りてきた水滸伝読もうとするが、眠くなり断念。14時20分から35分ごろまで軽く昼寝。
15時頃に、いつものように鼻ほじりながらgdgdとネットで求人探すも、応募ボタンを押す段階で、いつも心が折れる。
くそー。働きたくねーけど働かないと金がねぇ。もはや誰か恵んでけろ。
16時ごろ散歩に行く。最近はなぜか歩きたい気分の日が続くので、2時間ぐらい歩いてます。
18時帰宅。水滸伝ちょっとだけ読み進める。人物が多すぎて覚えきれん。
19時半ごろ夜飯。今日は鯖の塩焼き?なのかな、あれは。とにかく鯖でした。うまかったです。今日もごちそうさまです、お母さん。
20時ごろからネットでニコニコ超会議の動画をyoutubeで見る。普段ニコニコなんて全然見ないけど、それでもひろゆきさんとか東さんとかをはじめとする知識人達の意見にはなるほどと思うところがあるし、有名な生主の喋りは面白かったりもする。ま、結局何を話してるのか、サッパリついていけてないけどな!
どうせついていけないんだから見る意味なくね?って感じもするけど、「何もしないで何も考えないよりは、わからなくても見るだけ見た方がいい」と、俺の中の意識高い系がささやく。この姿勢が正しいかどうかは知りません。
21時20分ごろ風呂。21時40分ごろあがり、今に至る。
最近はお昼すぎたあたりのぐだ~~~っとした雰囲気と感覚が嫌いです。「働かなきゃ働かなきゃ」と頭が痛くなるのもこの時間帯です。
親に申し訳ないし気まずいし、でも働きたくないし、ってゆう思いが頭の中でぐちゃぐちゃ混ざって最悪です。
夜になれば後はもう寝るだけなので気分が楽です。夜超楽しいです。(←クズです)
はい、今日はこんな感じでした。以上。
レジの自動化について
最近レジが自動化うんぬんって言われてるじゃないですか。
さっきの記事でdvd借りてきたって書いたんですけど、御多分に漏れず、近所のツタヤ自動精算器を2台ほど置いてまして。
今日初めて使った見たんですよ。
意外と簡単でしたね。
こうゆうのが自動化されることに関してどうこう言うつもりは僕はないんですよ。
自動化されて次第にレジ打ちの仕事がなくなるんだったら、それが時代の流れなんじゃない?程度のものです。
ただね、やるんならわかりやすく、簡単にしてほしいわけです。
と言いますのも、近くのスーパーもレジを数台自動化してるんですけど、わかりにくいのなんのって。
これは俺が馬鹿なだけなのか。(まあ多分そうだろう)
以前使ってみた時に、やったらわかりにくくて、ピーピーピーピーなってるわけですよ。しばらくして見張りっぽいおばさんが来て、これはこうですあれはああですって教えてもらったんですけど。
んで、恥ずかしくて周りを見てみたら、僕以外にも自動精算器に苦しんでるおばさんがいまして。
俺はおばさん並みの対応能力の無さなのかと、軽く絶望したわけですが。
それで思ったんですけど、僕やお年寄りみたいにITリテラシーが低い人は、こうゆう新しい時代の風潮に対応できないのかと。
まあそもそもITリテラシー高かったら今時レンタルショップなんて行かねーよなって感じですが。
なにせ僕なんて未だにガラケーですからね。
スマホとか使ったことないし触ったこともないです。
さすがにそれはまずいんじゃないかと思って最近焦ってます。
「別にガラケーでも何も苦労してないですけど何か?」とかドヤ顔で言えたらかっこいいんですけど、
残念ながら結構苦労してます。
働き始めて自分でお金稼げるようになったら買おうと思います。
ちょっと話が脱線してしまいましたが。
結局何が言いたいかというと、僕みたいなITリテラシー低い人でも楽に生きていける世の中になってほしいと思います。ってことです、はい。
結論
ITリテラシーって言いたいだけ。
映画 HERO(2002)を見た
水滸伝を読んだことに影響を受けて武侠映画をちょこっと借りてきました。
・HERO
・エクソシスト・キルズ
本当は処刑山 14BLADESってのも借りたかったんだけど、探しても見つからなかったのでこの3つで我慢。
最後のエクソシスト・キルズってのはタイトルとあらすじに魅かれて借りてみました。ものすごい馬鹿映画な予感で楽しみです。
今日はHEROだけにしておきます。
以下感想
面白かったです。
チャン・ツィーが可愛かったです。
僕は楽しめたんですけど、昔ながらの映画ファンの人からすると、こうゆうアクションシーンはどうなんでしょう。
「ありえねーだろ」ってツッコミ入れたくなるんでしょうか。
僕みたいな、アニメやゲームの世界観に慣れてる側からすると、こういった「絶対ありえねーだろアクションシーン」が楽しくて楽しくて仕方ない。
重力とかどうでもいいんじゃいと言わんばかりの動きがたまらんのです。
あとチャン・ツィーが可愛かったです。
二人で城に殴りこむシーンとか、リアル無双ゲーで楽しいです。でもって、殴りこんだ先に待ち構える王様が意外と強いってのも面白い。
結局やられてはいたけど、「王様はとりあえず強い」ってゆう、なんともワンピース感漂う設定がいいですな。実際あの世界の中で強いのかどうかは知りませんが。
あとチャン・ツィーが可愛かったです。
どうでもいいですが、やっぱ中国の民族衣装(?)ってやっぱかっこいいですね。
動くたびにばさばさ舞う感じがいい。
でも実際動いてみたら絶対邪魔だよね、あれ。
そんな感じですかね。感想は。
あ、あとチャン・ツィーが可愛かったですね。
結論
チャン・ツィーが可愛かった。
無職水滸伝
最近さぼってたので近況を少し。
・・・・・・つっても特に何もないけど。
最近放置プレイしてた北方水滸伝をまた読み始めました。
まだ4巻までしか読んでないですけどね。
いやーやっぱ面白いですねー。思うに北方謙三さんも中二病疑惑あるよねww
死域とか青蓮寺とか致死軍とか。
歴史小説ではこうゆうネーミングは普通なのかな。よくわからん。
てかそれを言い出したら、そもそも中国のネーミングが中二病魂感じるけどねw
で、読んでて思ったのが、
要するに、全国のニート達も、この水滸伝のキャラクター達みたく集結して、山かどっかにこもって、政府に反旗を翻すと。
別に本気で政府に反旗翻してテロでも起こそうなんて気はないです。
でも全国のニートが一か所に集まってそこで暮らし始めたら、さすがに皆、ニートという生き方に注目せざるを得なくなるんじゃなかろうかと。
で、山って言ったらあの人しかいないやん?
そう、山奥ニートことばなしーさんしか。
僕は共生舎に行ったことないし、向こうは僕のこと知りもしないと思うので、あんまり勝手に名前出すのもちょっと憚られるんですけど、でも彼には是非宋江役をお願いしてみたいww
もしくはphaさんでもいいけど。
多分彼らは、特にばなしーさんはそうゆう意識高い系みたいなの、あんまやりたがらないだろうけどww
でも意識高い系にならないところが、ばなしーさんのいいところだとも、勝手ながら思うんですけどね。
だからこそ宋江の役は適役じゃなかろうか。一味の頭というのは、何の才が無くても、いるだけで下の者達の心の支えになるような人物じゃなきゃダメなのだ!(多分)
ま、そこは置いといて。
水滸伝には色々なキャラクターが出てきて、例えば魯智深ってゆうキャラクターは中国全土を旅して同士を集める役割がある。(北方謙三版は、原作無視してほぼオリジナルみたいなとこあるっぽいが)彼みたいに、ニートの同志を集める旅も面白そう。
ましてや今の時代は水滸伝の時代と違ってネットがあるんだから、ネットを通じて日本全国のいろんなニート達と知り合って人脈作って、皆で山奥の過疎地域にあつまったら少しは世のため人のためになるんじゃない?
ニートが何人集まろうが、いつまでもニートだとさすがにお金に困るので、どこかで誰かが金を稼がないといけない。
もしくはお金を稼がずに、作るという手段もありうる。
衣食住全部を自分たちで作る。これはかなり難しそうで、ちょいと現実味がないけど、もし実現できたらすごいぞ。もはや山奥に国ができるレベルじゃねーか?www
そこに永住して、なおかつ豊かな人生を送れるにはどうすればいいんだろうか。しかもできれば俗に言うニートのままで。
ここは課題ですな。全国のニートの課題だと思います。
・・・と、いろいろ言ってみるものの、いつもの通り、何か具体的なプランがあるわけでは全くないですwww
僕はいつも考えや根拠なしに言っちゃうので。
全国のニートが一か所に集まった時、いったい何が起きるのかはお楽しみということにしておきましょうwww(適当)
名付けて
無職水滸伝
である。
「最後に愛は勝つ」的な世界観
思えばブリーチといいナルトといい、最終回で主人公達って仲間内の誰かと結婚するよな。マイルドヤンキーっぷりを遺憾なく発揮していてよろしいと思います。あ、あとシャーマンキングもじゃね。
— カツサカ・ニート・ガタノゾーア (@katsusaka48675) 2017年5月21日
↑
ツイートした通りなんですけど、主人公って最後はヒロインと結婚するよね。
うん、羨ましい。
あと、今日、妖星伝を6巻まで読破したんですけど、この小説も、最後の方は、あるキャラとあるキャラが結婚して、幸せな暮らしをしている場面が延々続きます。
爆発しろ
って感じですね。
こうゆう風に、物語の中の登場人物同士が結婚したってゆうエピソードを読んだり見たりするたびに、猛烈な孤独感に襲われるんですよねww
僕には好きな人、愛する人もいなければ、僕のことを愛してくれる人もいないんだと思うと、もう孤独と絶望がヤヴァイわけですわww
2chのネタみたいですけどね。
愛する人と一生を添い遂げるとは、どれだけ幸せで素敵なことなんだろうと、夢見る乙女みたいなことを考えることもありますww
でも同時に、結婚なんてしたらチョー面倒くさそうやなとも思うんですけどねww
毎日毎日同じ顔突き合わせて狭くるしい一つ屋根の下で何十年も暮らすって、僕には耐えられそうにない。
ま、結婚という制度の話は置いといて。
僕が言いたいのは、物語のラストを、「最後に愛は勝つ」的な価値観で終わらせてほしくないってこと。
「結局リア充が勝つんだ」って感じがしちゃうんですよね。
勝利ってのはそんなあいまいな価値観で得られるものなのかと。
どっかの誰かが言ってたけど、勝つってのは具体的な勝算の彼方にある現実なわけで。(ちなみにカイジ読んだことないです。スマソw)
確かに物語的には最後に愛が勝てばカタルシスが得られるかもしれない。でもそれは、愛とは何かってことについて深く言及された後で、「それでもやはり人は愛なんだ!」って結論に至って初めてぐっとくるのではないでしょうか。(妖星伝に影響受けすぎてます。すいません。)
最終回でいきなり十年後ってなって主人公とヒロインの間には子供ができてました。めでたしめでたし。ってなっても、う~ん・・・って感じしません?
ま、とはいえそうゆうオチ、
わりと好きですけどねww